オンリーワンよりナンバーワン


今の音楽シーンは何ともつまらないものになっています。メジャーシーンに上り詰めたグループの多くは解散・活動休止し、それぞれのソロとして活動しています。注目すべき実力を持った人たちも、数ヶ月間テレビから消えることが多くなりました。テレビやラジオから流れてくる曲を聴いて「この曲は買いだ。」と思うことが最近あったでしょうか。ないと答える人が多いはずです。

では、なぜこんな状況になったのでしょうか。私が思うに、独創性を必要以上に意識してしまったことが原因に挙げられるでしょう。その象徴が、ナンバーワンよりオンリーワンをめざす人の多さです。つまり、類似品がある音楽ではなく、類似品がない音楽を作りたいという人が多すぎたのではないでしょうか。

ここに、類似品が多数ある音楽(そうですねぇ、Folder 5みたいなもの)と、類似品が全くない音楽、それぞれを生み出す2つのグループがあるとしましょう。話を簡単にするために、類似品が多数ある音楽の方は「似ているだけで音楽的に何の独創性もない」ものとします。そして、類似品が全くない音楽の方が実際に優れているものと仮定します。そうしたときに、どちらが生き残るでしょう。実力で決まるのなら、当然類似品がない方が残るでしょう。しかし、類似品が多数ある音楽の方が生き残ることが多いと思いませんか?

はっきり言いましょう。類似品が多数ある音楽は、まさに「類似品が多数あるがゆえに」生き残るのです。類似品が多数あるということは、それだけ話題に上がる確率が高いことになるのです。たとえばFolder 5。「沖縄発グループ」という点でも「女性アイドルグループ」という点でも「avexに所属しているグループ」という点でも話題に上がります。avexがプロモーションすることで、うたばんとかミュージックステーションとかの音楽番組に総出演です。その一方で、いろんな観点から雑誌やラジオで語られるでしょう。その一方で、類似品が全くない音楽は、当然のことですが「やっている当人」のことでしか話題になりません。従って、当人がリタイアしたり休養したりしている間、話題に上らなくなってしまうのです。

もっというと、「自分たち以外に仲間を作ることで、途切れなく話題を提供していく」という戦略もありえるのではないでしょうか。類似品が多いということは、他の人がやっていても自分のことを連想してくれるということにつながります。そのことによって、自分が曲を出さなくても忘れないでいてくれる人を、数多く作っていくのです。Dragon Ashがなぜメジャーシーンに上り詰めたのか、それは、他に多くのグループと連携していたからなのです。

時代は「積極的に類似品を作っていく」アーティストの味方なのです。つまり、「オンリーワンであるよりナンバーワンでありたい」と言う人こそがいま求められているのです。

結局のところ、独創性があるだけでいい音楽にはなりません。むしろ、独創的すぎるとわけが分からないのです。独創的であるかどうかではなく、「いい曲だと思える」かどうかが曲の優劣を決めるのではないでしょうか。

2001.10.12

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