音楽にはまるようになったきっかけ……FMfan休刊に関して思ったこと


FM雑誌の最後の砦だったFMfanが、12月5日発売号で休刊するんだそうです。私が知ったのは2001年11月21日付中日新聞夕刊でのことです。ついに終わったかという思いが私を捕らえました。終わったこと自体は歴史的な必然だったんですが、思い返すと私が音楽を聞き出すにあたって大きな役割を果たしたのがFMfanだったんですね。

そもそも私が音楽を聴くようになったきっかけは、ラジオのエアチェックからです。中学の「技術」の授業でラジオを作ったことから、ラジオにいろいろな音楽が流れていることを知りました。どんな番組があるのかなぁと思って、FM雑誌を買おうと考えたのです。本屋に行って、3誌くらい見比べて、番組表がいちばん詳しい(と当時は思った)FMfanを買うことにしたのです。

FMfanを頼りに、ラジオ番組をテープで録音して、テープのコレクションを作っていくうちに、邦楽に関してはたくさん聞き込む結果となっていきました。中学高校とほぼ6年間続けていましたから、あの時はテープとCDをたくさん買っていましたね。今年3月にテープを大量処分したときに数えてみたら、テープの数が確実に百本を越えてました。

その当時はすでにNHK-FM以外はかける音楽を直前やオンエア中に決めるスタイルになっていました。ですから、曲順と曲の長さを秒単位で記したタイムテーブルは事実上なくなっていました。流れた瞬間に聞いていないと曲を聴くことができない民放FM局を聞くことはなくなり(だって昼間は学生だから聞けない)、自然とNHK-FMとAMラジオ局中心になっていました。今思えば、あの当時私は流行を生み出すはずがないメディアを好んで聞くリスナーになっていったのです。

その後、あるきっかけから自然とラジオを聴かなくなり、月日は流れていきました。音楽情報は主にテレビから、という「明らかに音楽ファンではない」スタイルで過ごしてきたのです。今と違って流れに流されたスタイルで音楽を消費していたのですが、そのスタイルは、ラジオリスナーだった時代よりも幸福な時代でした。与えられたものに疑問を持たず、知らないままでいる方が幸せなんですよね。ラジオリスナーだったときは、自分が少数派であることを自覚しつつ、その世界に浸かっているというある意味不健全な生活を送っていましたからね。

幸福な時代が私の中で終わりを告げたのは、後期10代アート(私の造語です。宇多田ヒカルや浜崎あゆみや椎名林檎などの「10代の少女による音楽」のことを刺すのに便利なんですね)が台頭してきたことです。よく考えてみると、後期10代アートはヴィジュアル系や渋谷系を押しのけて台頭してきたんですね。つまり、「あらたな動きは前の流行をつぶして起こってくる」ということに気が付いてしまったんです。となると、いつか後期10代アートが終わりを告げる時代が来る、これに我慢がならなかったのです。

そのとき改めてFMfanを買おうと思ったんですが、手に取ってみて愕然としました。すでに私の感覚と合わなくなっていたんです。一度メジャーなところを味わってしまうと、「昔も今もマイナーであり、今後も少数派であり続けるしかない世界に満足している」雑誌になっていたのです。その瞬間、自分の中で何かが変わっていました。そして、電脳世界にJ-POPリスナー研究所を立ち上げるに至ったのです。

FM局はあの当時よりも増えています(民放連によると現在44都道府県に53局あるそうです)。しかし、私がFM局にもどることはもうないでしょう。それでも、私の中では「FMfan休刊」は大きな事件だったのです。時間の流れを感じつつ、今日も「私の好きな音楽をいかにしてメジャーにしていくか」という問題を考え続けていくのでしょう。

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