わかっている限りの活動実績


2002/03/09

3月3日放送のASAYANにおいて神山さんがスタジオライブを公開しました。人によっては「声に力がない」というような部分をうまく生かして、18歳の恋心をうまく表現していると思います。

いよいよ3月6日『卒業LOVE SONG』が発売されました。詳細な感想はそのうちに。

2002/02/23

2月17日放送のASAYANにおいて神山さんが出ていました。第2弾シングルの発売日も決定し、ジャケットも取り終えた模様。次回の一大決心を待て。

2002/02/10

ついに越えるべきハードルが決定。第2弾シングル『卒業LOVE SONG』を三万枚以上売るべし、とのこと。そしてレコーディングに突入した模様。オーケストラ導入でクオリティアップをめざす笹路Pの心意気に負けるな。

2002/02/05

3日放送のASAYANにおいて、勝又さんと神山さんにオリコン初登場順位が告げられました。そして、レコード会社の社長から、神山さんの今後が示されました。「ここまで頑張ってきた以上もう一度チャンスを」とのことで、第2弾シングルを発売し、そこであるハードルをクリアできなかったらここで終わりにするとのことでした。

ASAYANのスタジオにも登場しました。

本番終了後、笹路Pから『卒業LOVE SONG』を第2弾シングルにすると発表されました。

2002/01/30

27日放送のASAYANにおいて、CD発売までの神山さんの軌跡が放送されました。そして、発売時点での心境を語っていました。

なお、オリコン週間ランキング(2002/2/4 付)が発表されています。残念ながら…

2002/01/25

遅ればせながら、20日放送のASAYANにおいて、神山さんのデビュー直前(3日前)スタジオライブが放送されました。ようやく唄えたことでやっぱり楽しそう。もう吹っ切った感じでした。ライブも自分のスタイルを確立したようで楽しげな雰囲気でした。

2002/01/16

13日放送のASAYANにおいて、先行予約バトル最終名古屋決戦の結果が発表されました。神山3215票、勝又3278票と五連敗。さすがに涙を隠しきれませんでした。

2002/01/08

6日放送のASAYANで、引き続き先行予約バトルの模様が放送されました。レコード店まわりのあとの第3回戦、福岡でFMラジオ(fm fukuoka)生放送出演をかけてバトルを行い、神山2623票、勝又2675票と僅差で敗退。さすがに立ち直るのに数日かかったそうです。

その後東京でoriconを含めて40誌以上の取材を受ける。当然話題は超歌姫決定バトルに集中。

さらに札幌でFMラジオ(AIR-G')生放送出演をかけて第4回戦が行われる。神山2794票、勝又2825票でまたまた敗退。それでも勝又さんがラジオに出演している最中にレコード店まわりを提案するなど前向きな態度を見せていました。

最終バトル(名古屋決戦)は次週放送の予定。

(2002/01/16追記)

12月30日放送のASAYANにおいて、その時点までの神山さんの軌跡とともに、名古屋での握手会&バトル勝者ライヴの告知があったようです(私自身はこの放送はビデオでチェックしていたため見逃しました)。とりあえず以下に記録として書いておきます。

2002年1月6日(日)午後12時30分集合
クラブオゾン
名古屋市中区白川公園東
ヘラルドシネマプラザ2F

2001/12/24

23日放送のASAYANによれば、ジャケット撮影が終わり、プロモーションに回る日々だそうです。ジャケットのイメージは、「自然にぴったり」だそうで、富士山麓で撮影したそうです。

さて、大阪で勝又さんとともに握手会をした後、スタッフから「先行予約枚数が多い方がライブをやれる」ルールを知らされ、呆然。しかも、神山1641票、勝又1852票で惜しくもライブはできず。でも、さやかコールに答えてステージに登場し、お客さんと話をする。

さらに、二人並んで登場してきて、ここでも先行予約枚数発表。勝又2321票、神山2218票とまたもライブができず。しかもそのあと、レコード会社の社長が出てきて、「やはり歌姫は1人と決めたいなぁと…」デビュー曲バトルで最終決戦とすることを二人に告げる。オリコン初登場の順位で超歌姫を決定するというルール。敗者の運命は「今は言えない」そうです。

名古屋市某所で握手会&バトル勝者ライブが開催されるようです。
2002年1月6日(日)午後12時30分開催
希望者は12月25日から27日の3日間の間に、ASAYAN事務局まで電話(0120-70-1270)で問い合わせてください。

2001/12/18

16日放送のASAYANにおいて、神山さんのデビュー曲「月とハーモニカ」のプロモが公開されました。LANCASTER(カリフォルニア)までいってプロモを撮影したそうです。デビューを控えた彼女の心境と、曲のストーリーを重ね合わせたものとなっていました。「緊張っていうか…どうしよう!?」という言葉をもらしたように、演技に苦しむも持ち前の吸収力で克服した模様。

プロモを見た感想ですが、「アメリカの広大な大地の中の自分」というイメージが広がりました。「空気の中の風」のように、優しくまわりを包み込んでいる雰囲気が見えてきました。

なお、CDショップでの先行予約の際、抽選で2500名に当たる限定CDには、最終審査で歌った「卒業LOVE SONG」が収録されるそうです。

2001/12/10

9日放送のASAYANにおいて、神山さやかさんのデビュー曲が公開されました。同日時間差ライブにおいて歌詞が飛ぶなどの失敗があって落ち込んでしまった模様。それでも、笹路Pのアドバイスを受け、「胸に手を当てる癖」を直すためにギターを練習することを決定。それを聞いた中山さんから、デビュー当時使っていたというギターをプレゼントされ、名古屋でも自主練習に取り組む。レコーディングそのものは順調だったようです。

デビュー曲「月とハーモニカ」
プロデュース:笹路正徳、作詞:中山加奈子

聞いた限りでは、やはり自分の立ち位置や声の特徴を笹路Pに引き出してもらったみたいですね。MY LITTLE LOVERをもっと現実的にした感じの曲でした。野原から人を誘うような優しさ、ガールポップの優しさを思い出しました。今の時代にはいない感じですね。

なお、デビュー曲が完成したということで、CD先行予約バトルが始まる模様。先行予約数を毎週ASAYANで発表していく予定だそうです。また、12月15日に勝又さんと同時握手会が開催されます。場所は以下の通りです。

12月15日(土)午前10時集合
BAYSIDE Jenny(ベイサイト ジェニー)
天保山マーケットプレイズ東棟
地下鉄中央線「大阪港」駅下車1番出口徒歩5分
(問)0120-70-1270

2001/11/26

25日放送のASAYANにおいて、神山さやか・勝又亜依子同日時間差ライブの模様が放送されました。神山さんは10:00にはいっていました。かなり不安げでした。午後1:00、ライブ開始。以下のようなプログラムでライブを行いました。

1.第4次審査のときの曲「ALL I WANNA DO」
1.最終審査における笹路P審査のときの曲
2.最終審査における亀田P審査のときの曲
3.最終審査における島野P審査のときの曲「卒業LOVE SONG」
アンコール.最終審査における島野P審査のときの曲「卒業LOVE SONG」(歌詞が飛んでしまったのでもう一度歌いました)

ライブ動員数は692人。ショックが隠しきれない模様(観客アンケートも見ていませんでした)。

2001/11/19

18日放送のASAYANにおいて、連日中山加奈子さんとの打ち合わせや、笹路P指導のもとレコ−ディングが行われていると放送されました。笹路Pによると「カッコイイぞ! サウンドカッコイイ」とのことです。

2001/11/12

ASAYANホームページで同日ライブの告知が行われていますが、こちらにも書いておきます。

日付:2001/11/18
場所:上野恩賜公園内野外ステージ(JR山手線・地下鉄銀座線?上野駅徒歩5分)
時間:神山さやかステージは昼12時集合、午後1時スタート。勝又亜依子ステージは午後1時集合、午後2時半スタート。
雨天決行、入場無料、ただし見ることができるのは片方のみ。

2001/11/11

ボイトレに向かった先で、中山加奈子に作詞を依頼することが告げられる。神山さんとの共同作業で、作詞を勉強しようということで打ち合わせにはいる。「いろいろな人のを歌っていて、やっぱり恋愛の歌が歌いやすい。」ということで、詞のテーマを恋愛にすることに決定。楽曲も、16ビートの、R&Bぽくない軽い歌という方向で笹路Pが選曲。

数日後、仮レコーディングを決行。中山さんが書いた詞を笹路Pが選曲した曲にのせて歌う。オーディションのときとはうって変わって高度な要求をしていき、10時間に及ぶ。そして、笹路Pの口からデビュー決定が告げられる。さらに、そのデビュー日を「この際勝又と一緒にやった方がいい」ということで2002/1/23とする事が決定。

さらに、ASAYANにおいて野外ライブが決定。

2001/11/4

まずは笹路Pと打ち合わせ。笹路P独自の音楽理論を徹底的にたたき込まれる。そして、

口先だけで唄う癖がつくから、カラオケはしばらくやめること
ボイストレーニングには行くこと

と告げられる。そして、笹路Pの見守る中、ボイトレ開始。トレーナーは安まゆみ先生。たった一回の発生で「帰る?」と言われるなど、表情や姿勢、すべてを治されていく。歌手になるためにはまだまだハードルがある模様。

2001/10/28(までの活動)

テレビ東京系『ASAYAN』が募集した『女性ヴォーカリストオーディション』名古屋地区一次審査に合格。約1500名集結して、9名合格した中にその名があった。

一次審査、二次審査を順調に通過。プロデューサー軍団に「歌唱力に不安が残る」といわれながらも、リズム感、柔軟性、吸収力を評価される。

最終審査において、超P軍団4人のうち、笹路正徳プロデューサーの票を獲得。オーディションの優勝は勝又亜依子に決定したが、笹路プロデューサーが会議途中に退席し、神山さやかのサポートに回ることを表明。

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