やっぱり目をそらせない椎名林檎を正面から見据えて
正体をみれたらいいな、というわけで書いています。
私小説的な林檎(1)
今回は久しぶりに哲学的に考察したいと思います。
今まで、椎名林檎は『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ』と2枚のアルバムを発表して
います。もちろん私は両方とも持っています。そして時々聞いています。
いつ聞いても悲しくなるその楽曲群は、聞く人を惹きつけてやみません。有線やテレビや
ラジオで曲が流れてくると、聞かずにはいられなくなります。しかし、なぜそこまで人を
ひきつけるのでしょうか。
『正しい街』、『歌舞伎町の女王』(ともに無罪)、『罪と罰』(勝訴)の3曲が、私にとっては
特に印象的でした。今でも頭の中に残っています。つまり、私にはこの3曲が「椎名林檎を
理解するための曲」となっているのです。
この3曲とも、椎名林檎という存在の中だけで完結しています。聞く人を切り捨て、無視
しているのです。そういった意味では『リモートコントローラー』も好きですね。『正しい街』
を含めて、恋人という存在までも消し去っており、出演者は林檎ただ一人という状態
です。しかし、それだけ彼女の”苦悩”や”決心”が色濃く出ていると感じます。
つまり、彼女の曲は「私小説的である」という事の象徴なのです。どんな私小説なのか、
書いてみたいと思います。
前回の文 | 次回の文 |
過去の記事一覧 | トップページへ戻る |
E-mail address:tursiops@s5.xrea.com
ゲストブック|ブレーンストーミング会場意見とかありましたらぜひ書き込んでください。
tursiops責任編集。Copyright(C)2001 by tursiops
この版権表示を残すかぎりにおいて、商業利用を含む複製・再配布が自由に認められる。