椎名林檎研究(vol.20)

やっぱり目をそらせない椎名林檎を正面から見据えて

正体をみれたらいいな、というわけで書いています。


私小説的な林檎(1)

今回は久しぶりに哲学的に考察したいと思います。

 

今まで、椎名林檎は『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ』と2枚のアルバムを発表して

います。もちろん私は両方とも持っています。そして時々聞いています。

 

いつ聞いても悲しくなるその楽曲群は、聞く人を惹きつけてやみません。有線やテレビや

ラジオで曲が流れてくると、聞かずにはいられなくなります。しかし、なぜそこまで人を

ひきつけるのでしょうか。

 

『正しい街』、『歌舞伎町の女王』(ともに無罪)、『罪と罰』(勝訴)の3曲が、私にとっては

特に印象的でした。今でも頭の中に残っています。つまり、私にはこの3曲が「椎名林檎を

理解するための曲」となっているのです。

 

この3曲とも、椎名林檎という存在の中だけで完結しています。聞く人を切り捨て、無視

しているのです。そういった意味では『リモートコントローラー』も好きですね。『正しい街』

を含めて、恋人という存在までも消し去っており、出演者は林檎ただ一人という状態

です。しかし、それだけ彼女の”苦悩”や”決心”が色濃く出ていると感じます。

 

つまり、彼女の曲は「私小説的である」という事の象徴なのです。どんな私小説なのか、

書いてみたいと思います。


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