椎名林檎研究(vol.22)

やっぱり目をそらせない椎名林檎を正面から見据えて

正体をみれたらいいな、というわけで書いています。


私小説的な林檎(3)

今回は久しぶりに哲学的に考察したいと思います。

 

『歌舞伎町の女王』は彼女の実話だと思っていた人がいたそうです。彼女によれば、

「東京にいたとき、『君なら女王になれるよ』といわれたことはあるけれども、自分が

なったことはない」そうです。つまり、この歌はフィクションなんですね。でも、この歌にも

彼女が色濃く出てきています。

 

自分は売るけれども、同情はいらない。同情を欲しがると、すべてを失ってしまう。

ところで、この「すべて」ってなんでしょうね。

 

私が見るところ、彼女の自我を支えている基本哲学のことを指しているように思います。

基本哲学といえば大げさですが、それを失うと彼女は生きていけなくなってしまうのかも

しれません。

 

また、この歌で彼女は新宿歌舞伎町を「自分の未来」に見立てていると思います。彼女は

自分の意志で自分を売って、それで生きていることを誇りに思っているのです。ですから、

周りから見て不幸に見えても、彼女にとってはそれが自分の人生なのです。少なくとも

この時はそう思っていたのです。

 

『無罪モラトリアム』は10代の頃の曲をまとめてあり、従って彼女のデビュー前を綴った

私小説になっているのです。一方『勝訴ストリップ』の方はそれ以降の部分を綴って

います。本でいうところの上下巻とでもいえますでしょうか。


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